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最新ワークアウト?ベリーダンスの魅力

エアロビクス、ヨガ、ピラティス、格闘技エアロ、ジャズダンス、フラメンコ、バレエ、太極拳、ZUMBA、リトモス、フラダンス、パワーヨガ、整美体操、ヒッポホップ、ファンク、ストリートダンス、ラテンダンス、ベリーダンス。スポーツジムでのメニューを、ざっくりあげてみました。もちろんプールは除いていまよ。レッスンマニア?!の方ではなくても、すべてのレッスンを網羅している方ももちろんいらっしゃいますでしょう~!ちなみに自称ミーハーのライターの私はこの中で、6つです。レッスンに参加したことがあるのは。(エアロビ・ヨガ・ピラティス・格闘技エアロ・パワーヨガ・整美体操)

今でこそ、たくさんのスタジオプログラムがありダンス系のレッスンが充実していますよね?!でも思い出してみてください~!

以前のスタジオプログラムは、ジャズダンスとエアロビクスぐらいしかなかったような気がします。ちなみにエアロビクスは1980年代にジェーン・フォンダが火をつけて大ブームになりました。その当時のエアロビクスは、とても単純な動きの繰り返しだったと思います。整美っぽいような感じがします。

ここ最近のスポーツジムはどうなってるんだろう?!とちょっと行ってみました。まずは王道の「エアロビよね。」と思い、レッスンに参加してみました。そうしたら、どういうことでしょう?!ジェーン・フォンダが流行らせた動きとは全然違うじゃない?!足がもつれそうになるような、複雑なステップにステップからステップへのつなぎも難しすぎる!あまりにもステップが複雑すぎて、私は全然覚えられず、当然インストラクターの指示通りに動けず、運動の汗とは違う別の汗がたらぁーーと流れてしまいました。

そしてスタジオの前の方では、インストラクター並みのスタイルで音楽に乗り、インストラクターの動きと同じくガンガン踊っている「うまいぁ~」と思う人がいます。きっと上手な方はご自身でも「私は大丈夫!」と自信があるからこそ、前列に行けるのだと思います!もちろん、余裕ゼロの私はスタジオの後方で。(もし仮に私が前に陣取ってしまったら、大迷惑は間違いなしで、受け狙いだと思われそう)

そんなお上手な前列チームの面々が明らかに私より年上の方が多いのを目視で確認し、心の中はつぶやきます。「踊りの上手さは、若さではないのね・・・」間違いなく、私の肩はガックリと落としているでしょう。明らかに、一人遅れているのが鏡に映って確認できます。(そう私です)進んでいくうちに、遅れているのが私だけではないことを確認すると、ものすごい安堵感。これって何なんでしょうか?!

あー良かった!私だけじゃないのね~!と思いながら、どんどんレッスンは進んでいき、ようやく最後のストレッチ系の動きになると、「ここだけはついていけるのよね。」と深い安堵感。このホッとした感覚は深呼吸のせい?!(笑)そして、スタジオレッスンに通うにつれてびっくりすることもありました。

なんと、衣裳チェンジするんです。誰が?インストラクターでしょ??と思われるかもしれませんが、インストラクターではないんです!私もびっくりしましたよ。だってレッスンが終わって、どどどーーとスタジオを出て戻ってきたら、あれ??ウェアー変わってるし。と衣裳チェンジにびっくりしてしまいました。

おまけに、ジム友達でしょうか。お仲間で何かテーマを決めているようで、猫をイメージしていたりマリンだったり。いやはやインストラクターもびっくりじゃない?!っていうぐらい、すんごい気合いを感じました。そうなってくると、私も今回はどんなウェアーなんだろう・・と楽しみになってきました。

ダンス系にはついていけない私は、マシンコーナーで筋トレをしていると、シャカシャカと音が聞こえてきました。なんだ?この音は・・と振り向くと、そこにはヒップスカーフというのでしょうか。コインのような、貝殻のようなものがジャラジャラとついた物を腰に巻いている人がスタジオの中に入っていくではありませんか!!

これはいったいなに????とスタジオ内のレッスン風景を見ようと、外の窓から見てみるとそこには腰にヒップスカーフを巻いた女性がたくさん踊っていました。もちろん、ヒップスカーフなしの方もいらっしゃいましたがヒップスカーフなしの人は数名で、大多数はヒップスカーフを巻いて踊っていました。こ、こ、このレッスンはいったい。とスタジオメニューを確認すると、それはベリーダンス入門でありました。

私がイメージするベリーダンスといえば、おへそが出ていて腰回りに長いスカートのような、パンタロンのような、ディズニープリンセスのジャスミンのような服を着て腰をくねらせて踊るダンスというイメージがあります。エアロビクスより、断然長----い歴史がありそうなダンス。ベリーダンスのレッスンにトライする前に、ちょっとベリーダンスについて調べちゃおう!と思った次第であります。

ベリーダンスの歴史

驚くべきことに、ベリーダンス最古の踊りともいわれているほど、その歴史は長いんです。紀元前5世紀ほど昔のものといわれるエジプトの墓の壁画に、半裸のダンサー達が描かれているのですが、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操の姿勢に似ている。これってすごい。。だって紀元前ですよ。イエス・キリストが生まれるずっとずっーーーーーと前。日本は弥生時代ですよ。弥生時代に、すでに21世紀で行われている柔軟体操を描かれているんですから。それだけ古いので、イスラム教の発祥よりもはるかに早いため、その踊りには宗教的な意味合いは含まれないですよね。

そして7世紀に入りますと、アラビア半島を中心に広まったイスラーム文化における男女の隔離思想が広まっていきます。男女隔離思想は、保守的イスラム教(イスラーム)の説くところによると、性的倫理の逸脱を未然に保護するためには男女は節理ある隔離を行わなければならないという思想を直接の背景としているようです。それによって、男性は男性同士、女性は女性同士で過ごすという考え方のもと、女性だけで集まり、おしゃべりをしたり踊ったりするハレム(アラビア語=ハリーム 女人部屋)が形成されるようになったそうです。そしてその頃は、出産する年齢も今よりかなり若かったので、出産に耐える筋力をつけるため少女にベリーダンスを教えていたという説もあります。その時代のベリーダンスは、女性による、女性のための踊りですね。また「女性礼賛」「子孫繁栄」「女神信仰」「婚礼」など、女性が女性のために踊りで、それをジプシーが伝承したという説もあります。ベリーダンスの音楽がオリエンタル要素を持ちながらジプシー的でもあるのはそこから由来しているといわれえています。

そして、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンスの描写が見られるとあります。12世紀は「いいくにつくろうかまくらばくふ ---1192年」の鎌倉時代。日本での踊りは「能」が「猿楽」と呼ばれていたころですね。

15世紀には、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)が陥落し、広大なオスマン帝国が築かれた時代です。オスマン帝国の宮廷では皇帝(スルタン)一人のために、周辺各国から多くの女奴隷が集められ、大規模なハレムがつくられました。一般的に「一夫多妻」をベースとしてイメージされるハレムはこのグランドハレムを指すと思われます。グランドハレムの全盛期といいますか、一番盛り上がっていたころには1000人を越える女性たちが生活して、女性たちは歌や踊りをはじめとした礼儀作法や料理、裁縫、さらにアラビア文字の読み書きから詩などの文学に至るまで様々な教養を身につけていたそうです。

そして、奴隷から「成り上がる」には手っ取り早い方法が、「子供を産む」ということです。奴隷の身分でも宮廷でスルタンに仕え、スルタンから寵愛を受けて後継ぎを産めば王侯貴族の仲間入りという「成りあがり」が可能だったので、女奴隷の中には市場でくねくねと腰をくねらせて客にアピールする者もいたといわれています。

この頃、ミステリアスなハレムのイメージが西欧諸国に紹介されるようになり、18世紀から19世紀にかけての「ロマン主義運動」の高まりとともに、「オリエンタリズム」の象徴としてベリーダンサーが絵画などに登場し、とりわけ官能的な部分にスポットライトが当たるようになりました。それと同時に、ベリーダンスの持つ意味合いが変わってきたのもこの頃で、女性たちだけで楽しまれていた踊りが男性のために、また自分の出世の道具として使われるようになったともいわれています。

そして、中東が西洋列強になり植民地主義の対象となっていた時代に、西洋の女性の中には中東のダンスを学び、披露する人も出始めました。マタ・ハリが特に有名です。マタ・ハリはオランダ(アムステルダム)生まれで、、20世紀の初頭にパリに移り住みました。彼女はジャワ島からやって来た踊り巫女という触れ込みでダンサーとなり、「オリエンタル・スタイル」の舞踊を披露していました。ちなみに、マタ・ハリは芸名で、その意味は「太陽」あるいは「日の眼」を意味するムラユ語(マレー語またはインドネシア語)です。フランスの作家として有名なコレットも、その当時はダンサーとしてオリエンタル・スタイルを披露していたそうです。

「ベリーダンス」はお腹の踊り

私たちは「ベリーダンス」と言っていますが、いつから「ベリーダンス」と言われたのでしょうか?

1893年、アメリカのシカゴ万国博覧会でこの踊りが紹介された際に、アメリカ人のディレクターソル・ブルームによって「Belly dancingベリーダンシング」つまり、お腹の踊りと命名され「ベリー・ダンシング(お腹を使ったダンス)」と言う用語(「Beledi」ないし「Baladi」と呼ばれたダンス・スタイルの用語を誤訳してしまったものと考えられる)一般的に広められました。19世紀後半なので、今から約120年前。ベリーダンスの歴史からみると、とっても新しいですね。

アラブ文化圏では「ラクス・シャルキー」(東方の踊り)、エジプトでは「ラクス・バラディー」(民族舞踏)、トルコ語では「オルヤンタル・ダンス」(東方舞踏)と呼ばれています。

アメリカでのベリーダンスの発達

ベリーダンスは、20世紀後半のわずか数十年で現在のような形にまで発展して、今では世界中で親しまれる踊りとなりました。その成功の背景にはエンターテイメントの国アメリカでの人気、またそれを支えた好景気の影響があったことは間違いないと思います。

20世紀中盤になると、アメリカへ渡ったアラブ系や地中海沿岸諸国の出身者がNYなどの大都市で経営するナイトクラブでベリーダンスが繰り広げられるようになり、そのうちにアメリカ人ベリーダンサーが続々誕生していきました。「アメリカン・キャバレースタイル」といって、レストランやホールなどでお客さんと近い距離で踊るスタイルのことをいいます。)エジプト・トルコなど中東地域ではこのスタイルでベリーダンスが踊られることがほとんどです。)アメリカでベリーダンスが広がり始めた頃も同じように、このキャバレースタイルからスタートしました。お客さんと近い場所で踊るため「見せる踊り」だけではなく、踊りを通して「コミュニケーション」をして、時にはお客さんと一緒に踊ったりという雰囲気をつくりあげることによって、楽しいパーティがより盛り上がり、ダンサーによって花を添える踊りとして、ベリーダンスはアメリカで徐々に受け入れられたようです。彼女たちは伝統を受け継ぎつつ、かつより魅力的な衣装と演出でベリーダンスに洗練さを加えていきました。

1960年代から1970年代、中東からの移民たちによってアメリカの港町(ロサンゼルス・サンフランシスコ・シカゴ・ニューヨーク)で、アメリカン・ベリーダンスという独自のスタイルが作り上げられました。1960年代は、社会的抑圧から女性解放をめざした政治運動(ウーマンリブ)や性に対する意識改革がアメリカで起こりました。アメリカでは女性本来持っている力を評価しよう!という女性賛美的風潮も生まれました。ベリーダンスは女性性を強調するイメージが浸透していたのえ、女性解放の踊りとして評価されるようになりました。

トルコスタイルをベースに、アメリカ独自のベリーダンス解釈を加えて、それに世界各国のダンス文化の要素を加えたスタイルがアメリカン・ベリーダンスです。特徴は、空間を大きく使ったダイナミックな踊りにベール技術があげられます。今までは装飾の一部としての意味合いが強かったベールをダイナミックな動きと、細かい技術表現はアメリカン・ベリーダンスのスタイルとして発達していき、そのスタイルが中東色に逆輸入されるまでになりました。

今では世界中で一般的になっている剣やイシスウィング(ジュディ・オングの「魅せられて」で腕を広げてなびかせているもの)、ファンヴェール(大きな扇子の骨組みに、長ーーいヴェールがついている)なども、最初に使い始めたのはアメリカ人だといわれています。また、トライバルスタイルが生まれたのもアメリカです。アメリカン・トライバルスタイルとはどんなベリーダンスなんでしょうか。

トライバルとは部族、同族といった意味があり、1960年代にアメリカの西海岸で発祥したと言われています。中央アジアから北アフリカにわたるさまざまな民族衣装の要素を盛り込んだ独自のスタイルのことをいいます。踊り方も民族・中東アラブ諸国や北アフリカのダンススタイルの様子を取り入れた踊りですが、民族ダンスの傾向が強いダンスです。踊り方は、民族・部族間の調和を大切にするといったイメージが強く、力強く歯切れのよい踊り方で、表情が激しく変わらないように踊ることが多いようです。ダンススキルを揃えた2名以上のグループでの即興が基本スタイルです。

アメリカン・トタイバルもカリフォルニア・トライバルとアメリカ・トライバルとあります。
1960年代に確立されたのが、カリフォルニア・トライバルでサンフランシスコで確立されました。中東アラブ諸国や北アフリカのダンススタイルの要素を取り入れた踊りで、民族ダンスの傾向がとても強いです。今現在、一般的に浸透しているアメリカ・トライバルの先駆けといえるでしょう。踊り方はソロが基本です。2~3人の少人数で踊る場合には、一人ずつ前に出て踊ることが多いです。衣裳は黒とシルバーがメインので組み合わされた布地を使った衣裳が一般的です。

アメリカ・トライバルは1980年代、こちらもサンフランシスコで確立されました。手の動きはフラメンコの影響を受けているといわれています。下半身はアメリカン・エスニックの影響を受けているといわれています。曲に合わせて振付することがないため、上半身を中心とした動きのコンビネーション(キュー)とステップが複数用意されています。キューとステップを組み合わせて即興で踊るのが基本です。こちらもパフォーマンス中は笑顔はなく、無表情で踊るのが特徴です。衣裳は黒のコインブラに、下はクロノスカートやパンツにカラフルなフリンジ・ベルトを巻きます。アクセサリーは中央アジアを中心としたアクセサリーをたくさん重ね付けして、北アフリカのヘッドセットやヘアーアクセサリーをあわせます。アメリカン・トライバルのダンサーはタトゥーも入れることも多いようです。

アメリカン・ジプシ-

北インド周辺から中東、東ヨーロッパ、スペインなどに移動したジプシーたちによって踊りつがれていったスタイルをジプシー・スタイルといいます。まず最初にアメリカにベリーダンスが広まった後、ベリーダンスの根底に流れているルーツとしてジプシーの踊りを見つめなおし、独自のスタイルとして確立していったダンサーたちがいました。そのスタイルをアメリカン・ジプシーといいます。インド舞踊、ターキッシュ・ジプシー・アメリカンジャズ、サンドラ(フラメンコダンスの一種でスペインやモロッコ文化の影響をうけている)の要素を取り入れたのが、アメリカ独自のジプシースタイルです。衣裳は大きな10ヤード・スカートにカラフルなフリンジ。裾がひらひらと広がる袖を用います。

アメリカから世界へ発信

2002年に結成されたベリーダンス・スーパースターズは、アメリカで活躍している世界一有名なベリーダンスのパフォーマンス集団で、オリエンタルやトライバルの垣根を超えたさまざまな才能を持ったベリーダンサーが所属するエンターテイメント集団です。ベリーダンスの本場アラブ諸国とは少し違う形の新しいベリーダンスを披露しています。当初のメンバーは、ニア、アンスーヤ、アマル・ガマルの3人のベリーダンサーですが、2003年に有名な名プロデューのサーマイルス・コープランドが3人のダンスを観て衝撃を受け、リーダンスのステージプロデュースを決めたといいます。アラブの音楽とダンスの組合せとリバーダンスをヒントにして考え、大成功しました。スーパースターズの魅力は、メンバーのダンステクニックはもちろんですが、ベリーダンス以外のダンスも得意だということです。そして容姿も美しいこと。美しいこと・・・ただ美しいだけではなく、個性がある美しさとでもいいましょうか。惹きつけられること間違いありません。そして、プロデューサーのマイルス・コープランドはオーディションをして次々にメンバーを投入して、常に新しくそして美しい舞台を創り出すことに成功しています。ベリーダンス・スーパースターズは、世界各地でパフォーマンスを行うことにより、ベリーダンスの魅力を世界中に発信しています。